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東京高等裁判所 昭和47年(う)2610号 判決

被告人 石川重男

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人石川清作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。これに対し、当裁判所は、次のとおり判断する。

第一論旨第一について。

所論は、原判決は、刑事訴訟法三一二条一、二項に違反し、検察官に対し、過失の点の訴因につき、追加または変更を命じないまま、訴因において主張されていない別個の過失を追加して認定している点で、訴訟手続の法令違反があり、この違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるという。

よつて、本件起訴状における過失の内容と、原判決の認めた過失の内容とを対比すると、前者は、被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四六年三月一七日午後六時三〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、館林市本町二丁目一一番一六号地先道路を佐野市方面から明和村方面に向かつて進行したが、同所付近は公安委員会において毎時最高速度四〇キロメートルに制限されているので、運転者としては、これに従い、かつ、前方左右を注視し安全運転をして事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、不注意にもこれを怠り、漫然時速六〇キロメートルぐらいで進行した過失により、前方右側から左側に向け歩行横断中の原判示被害者を二七・七メートル手前で発見し、急制動をかけたが、前記速度であつたため及ばず、原判示経過で前示被害者に傷害を負わせて死亡させた旨の記載であるのに対し、後者は、被告人は、自動車運転業務に従事しているものなるところ、昭和四六年三月一七日午後六時過ぎころ、普通乗用自動車を運転して、館林市内本町通りの県道前橋古河線を佐野市方面から明和村方面に向かつて進行したが、その道路の同所が群馬県公安委員会において、最高速度毎時四〇キロメートルに制限されているばかりでなく、夜間であり、対面自動車のない限り、右制限速度に従い、かつ、前照燈を上向きにして前方はもちろん左右を注視して、事故の発生を未然に防止できる態勢で進行すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、時速五五キロメートル以上七〇キロメートル余で進行し、かつ、対向車もないのに前方およそ三〇メートルしか見とおし得ない下向き前照燈のまま進行した重大な過失により、原判示地点で前方右側から左側に向かい歩行横断中の原判示被害者がすでに道路中央線付近にいるのをようやく発見し、急制動の措置をとつたが、原判示経過で前示被害者に傷害を負わせて死亡させた旨認定していることが明白である。これによれば、原判決における過失の内容は、起訴状におけを過失の内容に比し、対向車もないのに前照燈を下向きにして進行した点が付加されていることが明らかである。しかも、この付加された点については、原審公判審理の過程において被告人・弁護人と検察官との間において攻防が尽くされたと認めるべき事跡がないから、前示のように認定判示した原判決は、法の要求する訴因の変更をなさしめないで、被告人に不利益な判決をしたものといわざるを得ず、この違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかである。(なお、(証拠略)によれば、本件事故の発生した原判示場所およびその付近は、両がわが商店街をなしている繁華街で、街路の照明の設備もととのい、原判示事故発生時刻ころは、車両の交通も多かつたことが明らかであるから、かような場所で、対向車がない限り前照燈を上向きにするということは、対向車とのすれちがいごとに前照燈の向きを上下に変化させることを求めることを意味し、その点からみても、前照燈を上向きにすることを求めている点は、適切とはいえない。)

第二職権による判断

職権により、原判決の採証・認定について審査すると、原判決は、その挙示する証拠によつて、前示第一判示のように被告人運転車両の時速を五五キロメートル以上七〇キロメートル余と認定しているのであるが、右認定の根拠となつたものとしては、司法警察員鈴木永蔵作成の昭和四六年三月一七日付実況見分調書(原審記録三六丁の方)をおいて他に見当らない。そして、同見分書は、現場路面に印象された二条のスリツプこんの長さからホイールベースを引き去つたものを基準とし、事故地点の路面の乾燥していたこと、アスフアルト舗装であつたこと、事故車両の新古の度合が中程度であつたことから、摩擦係数を〇・五五ないし〇・七〇とし、一定の図式により、事故車両の当時の時速を機械的示度により示すものであるところ、このような図式、係数等による示度の出しかたは、当審における事実の取調の結果としての証人鈴木永蔵の供述によれば、群馬県内において、交通事故捜査の手引きというたぐいの指導書によつて行なわれているものであることが明らかである。しかしながら、その種の定型的な図式計算なるものは、交通事故の捜査から裁判までを通じ、確かにひとつの有力な参考資料とはなりうるであろうが、事故の形態は、千差万別であるから、これを過大に評価しないよう注意すべきであり、もとよりあらゆる場合に用いることのできるものではない。そして、この見分書の計算結果が仮りに正しいとすれば、同見分書も示しているとおり、被告人運転車両の本件事故直前の時速は、五二キロメートルないし六〇キロメートルとなるというのである。原判決の認定は、同見分書の前示摩擦係数を速度と誤解したか、あるいは、これから独自の推算を行なつたかによるものと解されるが、同見分書の示す時速とは異なるのである。そうだとすれば、原判決は、さきに説明したとおり、この見分書以外に時速認定の根拠はないのであるから、この点において刑事訴訟法三七八条四号後段にいう理由にくいちがいがある場合に当たるものというべく、破棄を免れない。

よつて、その他の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九二条二項、三九七条、三七八条四号後段、三七九条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、つぎのとおり判決する。

(当裁判所が認めた罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるところ、昭和四六年三月一七日午後六時過ぎごろ、普通乗用自動車を運転して、群馬県館林市内本町通りの県道前橋古河線を佐野市方面から明和村方面に向かつて進行したが、その道路の同市本町二丁目一一番一六号地先およびその付近は、群馬県公安委員会において、最高速度毎時四〇キロメートルに制限されている地点であるから、この制限速度に従い、かつ前方や左右の安全を確認したうえで進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにもかかわらず、これを怠り、上記安全の確認をしないで時速約六〇キロメートルの高速度で進行した過失により、同市本町二丁目一一番一六号地先道路を前方右側から左側に向け横断歩行中の婦人村田キク(当時六七歳)がすでに道路中央線付近にいるのを、その手前二七メートル余に接近した地点で発見し、急制動の措置をとつたが間に合わず、自車の右前照燈付近を同女に衝突させてこれをボンネツト上にはね上げたうえ前方に転落させて全身打撲の傷害を負わせ、よつて、同日午後一一時一五分ころ、同県同市西本町四番三六号荘司病院において死亡させたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為につき、刑法二一一条前段、昭和四七年法律六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号(禁錮刑選択)

当審訴訟費用の負担につき、刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑事由)

論旨第三指摘の被告人に有利な事情を充分に考慮しても、主文第二項記載の刑は、本件事案の罪質、態様、結果等あらゆる情状を考慮すると、やむを得ないものと認める。

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